大同は工業都市として知られるが、市内とその周辺に古い史跡がこれほど密集しているのは意外に感じられる。北魏は398年に平城を都とし、遼と金の時代には西京が置かれた。仏教の庇護が残した寺院、石窟、木造の堂宇は、チェックリストをこなすより、的を絞って訪ねるほうが実り多い。
2日間でできるのは入門で、全体を概観することではない。車があれば南部の史跡は回りやすいが、駐車場と行楽期の渋滞という代償がある。旅行前の1週間に、公式情報で開館日・予約・シャトル便の手配を確認したい。
2日間の分け方
1日目は旧市街の内側で過ごす。2日目は雲岡石窟を訪ね、南へ車を走らせて応県と懸空寺へ。2日目は欲張りな行程なので、ゆっくり巡りたい運転者は南部の2カ所のうち1カ所を選び、暗くなる前に大同へ戻るのがよい。
丸1日しかないなら市内に留まる。朝は華厳寺、昼食後は雲岡石窟、夕方は城壁か鼓楼。2日あるなら順番を入れ替えてもよい。初日に市内の寺院と雲岡石窟、2日目に応県、懸空寺、恒山を巡る。
1日目:旧市街と華厳寺
城壁の内側から始める。華厳寺が最も見応えのある訪問先。時間が許せば近くの善化寺を加えるのも無理がない。再建された街並みと現存する史跡は、旧市街の碁盤目の中に寄り添うように並ぶ。
華厳寺
華厳寺は遼の1038年に創建され、金との戦乱で被災した後、1140年に再建された。中国でも最も完全に近い形で残る遼・金代の伽藍のひとつ。明時代には上寺と下寺に分かれ、1648年の火災では本堂と比丘教誡殿だけが残った。鐘楼・鼓楼、入口の建物群、いくつかの脇殿は2000年代初頭に元の位置で再建された。
門をくぐると普光明殿があり、両側に薬師如来堂と阿弥陀如来堂が並ぶ。これらは梁思成が失われた海会殿を描いた図面に基づいて設計された。堂内を巡る壁画は、善財童子が53人の師を訪ねる物語を描く。頓悟ではなく漸修を説く仏教説話だ。
本堂
本堂は高さ5メートルの基壇上にあり、1062年に初めて建てられ、1122年に焼失、1140年に同じ平面規模で再建された。中国に現存する古代木造宗教建築としては最大。壁面には明時代の天部像20体が並び、その背後に清時代の壁画が描かれる。遼の寺、金の建物、明の塑像、清の壁画という、よく引用される層の重なりがここにある。
屋根の大棟を見上げたい。一対の瑠璃鴟吻は高さ4.5メートルで、中国初期建築の同種のものでは最大級だ。
華厳宝塔と地下宮殿
高さ43.5メートルの華厳宝塔は方形で木造軸組式。外からは五重に見え、内部に二重を隠す。応県の木塔に次ぎ、中国に現存する純粋なほぞ組み木造塔としては2番目に大きい。下部には銅板張りの地下宮殿があり、舎利室と数千体の小さな仏像を収める。階段は急で入場も制限されるため、列の進みは遅い。狭い場所が苦手な人は、中庭から塔を眺めるだけでもよい。
広場、城壁、夜の散策
華厳広場は遼金様式を模した現代の商業施設である。古代のものではないが、暗くなってからはライトアップが目印になる。そこから歩くか車で城壁へ向かう。1372年に元の城の土台の上に築かれた明代の城壁は全長約7.2キロで、大規模な修復が施されている。入場には予約が必要な場合があり、れんがの造形は装飾灯の下よりも日中の方がよく見える。
鼓楼、四牌楼、九龍壁は、夜の散策でまとめて巡れる範囲にある。九龍壁は1392年のもので、中国に現存する同種の作例3つのうちの一つである。鼓楼自体は明代のもので、その後何度か修復されている。周囲の通りは飲食店や交通の音でにぎやかだ。
2日目:雲岡、応県、懸空寺
市街から西へ約16キロの雲岡へは早めに出発する。敷地はよく整備され、大きなビジターセンターと駐車場があるが、休日期間は来場者の多さで入口周辺の流れが遅くなる。チケットは公式チャネルで予約し、彩色窟内の撮影に関する最新の規則に従う。
雲岡石窟
雲岡石窟は、5世紀から6世紀にかけて武周山の砂岩を掘り込んで造られた。この石窟群には主要石窟45窟、付属窟200余窟、約5万9000体の像があり、親指ほどの大きさの彫刻から高さ17メートルの仏像までそろう。僧の曇曜が最初の皇室窟群の開削を指揮し、この遺跡は北魏王室による仏教庇護を今に伝える最も明瞭な遺構であり続けている。2001年にユネスコ世界遺産に登録された。
参道では、曇曜の像と、湖中の島に建つ霊岩寺の現代復元建築を目にする。これは6世紀の酈道元『水経注』の記述に基づいて建てられたものだ。あくまで導入であり、古代から残る建物ではない。来訪の目的は石窟にある。
優先して見たい石窟
第1窟と第2窟は中心塔柱窟で、下部の像は水と時間による浸食が進んでいる。第3窟は敷地内で最大規模の開削跡だが、孝文帝が洛陽へ遷都した際に未完成のまま残された。ここにある3体の唐代の像は後世に加えられたものだ。第5窟には高さ約17メートルの坐仏がある。第6窟は説話を刻んだ浮彫パネルで知られる。
曇曜五窟と呼ばれる第16~20窟は460~465年に開削され、雲岡の第1期を代表する。各窟は北魏の皇帝に結びつけられた大型仏像を中心としている。第20窟は露天で、雲岡で最も知られる像であり、ここでは2番目に大きな仏像である。
応県木塔
雲岡から応県までは車で約87キロ、渋滞を含めると2時間ほど。仏宮寺の釈迦塔は1056年に建てられ、高さ67.3メートル。中国に現存する木塔のうち最古かつ最も高い。その骨組みは地震や戦災、幾世紀もの風雨を耐え抜いてきたが、いまは目に見えて傾いており、保存案は長年議論されてきたものの結論は出ていない。
この種の建物にとって最大の脅威は火災であるため、入り口ではライターの検査が行われる。塔の後ろの本堂は、以前の火災を経て清代に再建されたものだ。立ち寄る価値の中心は塔そのもので、緻密な組物と重なり合う軒は、中庭からゆっくりと眺めるのがよい。
懸空寺
懸空寺は応県から約57キロ、恒山の翠峰の断崖にある。491年の創建で、仏教、道教、儒教の堂宇を垂直に積み重なる通路と祠の中に収めており、現在残るものの大半は明・清時代の修復による。上層の通路への立ち入りは制限され、混雑時には登拝が中止されることもあるため、遠回りを決める前に確認しておきたい。
恒山も近くにあり、ロープウェイと徒歩の選択肢があるが、同じ日に加えると長い移動がさらに長くなる。懸空寺ではドローンが禁止されており、同様の規則は遺産地にも広がりつつある。
運転と保存に関する注意
距離は数字の上では大したことはない。しかし祝日の交通、駐車場の渋滞、旧市街の歩行者専用区域が時間を奪っていく。雲岡と応県の区間は車を残し、城壁内では可能な限り歩くとよい。道路の通行、駐車、見学の予約は現地で確認してほしい。状況は変わるからだ。
大同の旧市街は2000年代初頭以降、大規模に再建されてきた。インフラが整い、観光客も訪れるようになったが、その事業は真正性、取り壊し、新しい商業通りと残存する史跡との関係について厳しい問いを投げかけている。旅人にできる対応は単純だ。本来の建物に時間を費やし、現地の案内を読み、撮影と焼香の規則を守り、再建された通りは古い時代の素材ではなく現代の都市デザインとして受け止めることである。
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